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警固屋五丁目に巡洋艦青葉終焉之地の碑

2012年5月、警固屋五丁目に太平洋戦争末期の昭和20年7月28日に警固屋沖で被爆着底した一等巡洋艦青葉の記念碑があります。台座を含め高さ約3.5m、碑文は約2m。

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この記念碑は、警固屋町づくり協議会と巡洋艦青葉終焉之地碑建設保存会によって計画、建立されたもので、碑文の字「巡洋艦青葉終焉之地」は乗組員であった中曽根康弘元首相のもの。

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巡洋艦青葉は基準排水量9000tで三菱造船長崎造船所(現三菱重工長崎造船所)で建造されました。

太平洋戦争開戦以前は日中戦争に出動し、上海上陸作戦の支援などを行うなど活躍、太平洋戦争中期、ソロモン方面でアメリカ機の爆撃を受け大破、呉へ帰港し、呉で本格的修理を行う予定であったが、昭和20年3月にアメリカ軍空母機動部隊よる攻撃され、命中弾を受けて艦尾はほぼ切断状態となり、艦内は海水で満水となった結果ついに大破着底したそうです。

ちょうど海岸近くの警固屋五丁目にある記念碑の国道の向こう側が青葉が沈没した場所とのことです。
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現在、海上自衛隊第一術科学校には青葉の艦首に装着されていた菊花紋章が、大和ミュージアムに青葉の主砲砲身の尾部が展示されています。

 
 
 
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