日本の名城!vol.12小田原城!

広島城、福山城、松江城、岡山城、彦根城、高知城、備中松山城、丸亀城、鬼ノ城、松本城、岩国城と続き・・・

久々のお城シリーズ!!!

本日は第12弾!!!

はい、今日は難しいですよぉ~♪♪♪(笑)

よって、写真は2枚!!!

この写真をみて、わかる方は・・・

「宮迫お城検定・拾段」をさしあげますぅ~♪♪♪(笑)

写真でわからない方の為に・・・

ヒント!

15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が●●●に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。

●●●城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。

しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の●●●攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。

北条氏滅亡後、徳川家康に従って●●●攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。

その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。

貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、●●●城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。

●●●城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体されました。

後に、●●●・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年には、二の丸に御用邸が建てられました。

しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。

その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。

続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門が、平成9年10月に銅門、平成21年3月には馬出門が完成しました。

●●●城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。

少し、ヒント!が簡単すぎか・・・(汗)

関東大震災がでてくるということは・・・

日本の名城も、東日本に進出したことになりますね!!!(笑)

さて、このヒントでわかった方には・・・

「宮迫お城検定・初段」をさしあげますぅ~♪♪♪

日本にはたくさんの名城と呼ばれる城がアリマス!!!

「素人お城狂・宮迫」が到達しないといけないお城は・・・「あと88個」

さて、次は、どこの城に・・・

週末、ぜひ、日本の名城にいってらっしゃいませぇ~♪♪♪

それでは本日も名城に負けない凛とした姿で、もちろん笑顔でがんばりましょう~♪♪♪

がんばろう広島!

以下、「宮迫接骨院オフィシャルホームページ」もよろしくお願いいたします。

http://www.miyasako.net/

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