相性を辞書で引くと・・・
1 男女の生まれを暦の干支(えと)や九星などに当てて相生(そうじょう)・相克を知り、二人の縁を定めること。中国の五行(ごぎょう)思想から出た考え方。
2 互いの性格・調子などの合い方。
東洋医学で用いる「五行」の相生・相克を語りだすと・・・「木火土金水」の話になり・・・延々となりますので・・・本日は「2」の互いの性格、調子の合い方の「相性」について。
さて、私の辞書の『相性』にはこう印されている。
「共感、共有できるか、どうか!?」
人は一人では生きていけない。
よって誰かとともに生きている。
自分にとって「気の合う人」もいれば、その反対もある。
気が合うということが「相性が良い」という言い方をされます。
幼少期は、「みんなと仲良くしなさい」「ケンカをしてはダメよ」と親、教師を含む大人から昏々と教え込まれますが・・・
大人になってみて・・・いざ!そうしているか!?というと・・・
案外、大人の方が性質が悪い・・・(笑)
「みんなとなんか仲良くできない」「すべての人と仲良くなんてできない」
大人ですから、表立ったケンカはしないものの・・・冷戦状態・・・ということはよくある・・・(笑)
人は幼少期から徐々に様々な体験をし、人格、性格が形成されてくる。
もちろん先天的な素養というものはあるだろうが、基本的には生きていた環境、状況で様々な人格、性格ができるように思う。
人は一人では生きていけないため、人と接触する。
その時のファーストコンタクトで「何か違う」と感じることがある。
その「違う」感覚というのが何かはわからないが、これまでの自分の経験則で「自分との相性を判断するセンサー」のようなものがあるのではないかと思う。
この「何か違う感覚」は直すとか、正すというものではなく、直せないもの、正せないもの。
いや、直す必要がなく、正す必要がないものともいえる。
その「違う感覚」は相手がそう感じるだけで、その人にとってはごく当たり前の感覚だからである。
それを無理にすり合わせようとすると・・・「歪み」がでる。
人間関係でいくと「無理」という感覚である。
これはどちらかが悪いわけではなく、相性と言われる問題だと思う。
類は類を呼ぶという諺があるが、これは、いわゆる相性ということになるのだろう。
ただ、人間はある程度、許容できる範囲がある。
すべて許容できる「おおらかな人間」はそう、いないと思うが、許容できる範囲に個人差があるのは事実である。
組織などで、どうしても「外せない人間関係」であれば、許容せざるを得ないということもあるだろうが、通常の友達関係、人間関係においては無理をして、多大な許容をして継続する必要はない。
ここで「相性がよい」とされることについて考える。
花をみて、「キレイ」「かわいい」と思う人に対して、自分は「きらい」「いや」という風にを思えばと・・・
「えっ?」という違和感が生じる。
ある自動車をみて、「かっこいい」「素敵」と思う人に対して、自分は「ダサい」「カッコワル!」という風に思えば・・・
「ん?」という違和感が生じる。
そうしたことが様々なところで起こっている。
それを逆説的にとらえ・・・相性がよい!って何???と考えたら・・・
「共感、共有できるものごとが一致できる人」と言えるのではないか・・・
そんな逆説的に考えなくても「共感、共有できるものごとが一致できる人」じゃん!と言われれば、身も蓋もないが・・・(笑)
自分の感覚、感性が一致できる人というのは、そうはいない。
いや、少ないかもしれない。
人は一人では生きていけない。
ならば、その感覚、感性が一致する人、共感、共有、共鳴ができる人は大切である。
人生を豊かに生きるには、そうした人がより多くいれば、より豊かになる・・・んだと思う。
「相性」・・・宮迫広辞苑にはこう印されています。
「共感、共有できるか、どうか!?」
それでは今日も「相性」の良い出会いに感謝しつつ、一日を笑顔で豊かに過ごしましょう~♪
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