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本日は超々々難問!!!
天守閣はなく、城門、外堀、そしてその周辺の写真7枚!!!
写真だけでわかれば・・・
「宮迫お城検定・神」をさしあげますぅ~♪♪♪
写真でわからない方の為に・・・
ヒント!
「城下町の風情と情緒のある町」
伊東氏5万1干石の城下町として栄えた「九州の小京都」
●●は戦国時代、●●城の覇権をめぐって伊東家と島津家の間で激しい合戦が繰り広げられ、合戦は80余年にわたって続きました。
伊東義祐は、●●城主の島津忠親を打ち破り、念願であった●●城を奪いますが、すぐに島津氏の手に戻りました。
その後、天正16年(1588年)、豊臣秀吉の命により、義祐の子・祐兵(すけたけ)が伊東家の居城として入城し初代藩主となり、●●城下の建設に取りかかりました。
●●城下は四方を山に囲まれた小盆地に位置して、酒谷川が城下町の東、南、西を蛇行して取り巻き、外堀の役割を果たしています。
●●城に近い方から、上級、中級家臣、町家、下級家臣の屋敷地となっています。
以降、明治初期まで280年間、伊東家は14代にわたって●●藩を治めました。
元禄6年(1693)に完成。
●●藩伊東家の中心施設としてきました。
明治維新間もない明治2年(1869)、伊東家が大手門前の豫章館に移り、明治6年(1873)には、●●城内の建物全てが取り壊されました。
取り壊された大手門は昭和53年(1978)6月に樹齢100年の●●杉を使用して復元。
●●城の玄関として勇壮を誇っています。
大手門に向かって左手には、明治になって城主が移り住んだ「豫章館」。
右手には●●藩の学問所・藩校「振徳堂」や武家屋敷、石垣が残っており、特に小京都らしい趣が漂っています。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
さて、このヒントでも相当に難問かとは思いますが・・・
このヒントでわかった方には・・・
「宮迫お城検定・五段」をさしあげますぅ~♪♪♪
日本にはたくさんの名城と呼ばれる城がアリマス!!!
「素人お城狂・宮迫」が到達しないといけないお城は・・・「あと63個」
さて、次は、どこの城に・・・
あ、素人お城狂・宮迫が大推薦してた「松江城」が国宝に認定されましたね!!!
松江城!!!を含め、週末、行くところに困ったら、ぜひ、日本の名城にいってらっしゃいませぇ~♪♪♪
それでは本日も名城に負けない凛とした姿で、もちろん笑顔でがんばりましょう~♪♪♪
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