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本日、天守閣はありませんが・・・
特長的な建物があり、再建されています!
この写真をみて、わかる方は・・・
「宮迫お城検定・八段!」をさしあげますぅ~♪♪♪
写真でわからない方の為に・・・
ヒント!
慶長10年、常陸笠間より丹波八上城へ入った松平(松井)康重は、慶長13年に徳川家康の命により築城した。
家康は、関ヶ原の合戦に勝利した後、豊臣恩顧の西国大名の勢力を削減して徳川幕府の確立のため、戦略の要衝の地に天下普請で築城した。
●●城もその一つである。
●●城築城には、普請奉行に池田輝政が命じられ、藤堂高虎の縄張りにより西国大名の天下普請で築かれた。
●●城には、天守台が築かれたが天守は建てられなかった。
城主の松平(松井)康重は元和5年に和泉岸和田に移され、上野高崎より松平(藤井)信吉が入封した。
その後、松平(藤井)2代・松平(形原)5代を経て、寛延元年に丹波亀山より青山忠朝が6万石で入封した。
以後青山氏は、6代に渡って居城し明治に至った。
特長的な建物とは・・・
大書院。
1609年(慶長14年)の篠山城築城と同時にたてられました。
1944年1月6日夜焼失してしまいましたが、●●市民の熱い願いと尊い寄付によって2000年4月ついに再建されました。
大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では京都二条城の二の丸御殿に匹敵する建物です。
二条城の御殿は将軍が上洛したと きの宿所となった第一級の建物ですから、大書院は一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものといえます。
大書院を復元するにあたっては、古絵図、古写真、発掘踏査等の総合的な学術調査が実施され、その成果に基づいて設計と建築が行われ、2000年3月に完成しました。
復元された建物は平屋建てで北(妻側)を建物正面とします。
床面積は739.33平方メートル、棟高は12.88メートルあり、屋根は入母屋造 り、こけら葺きとなっています。
さて、このヒントでわかった方には・・・
「宮迫お城検定・初段」をさしあげますぅ~♪♪♪
日本にはたくさんの名城と呼ばれる城がアリマス!!!
「素人お城狂・宮迫」が到達しないといけないお城は・・・「あと72個」
さて、次は、どこの城に・・・
週末にはぜひ、日本の名城にいってらっしゃいませぇ~♪♪♪
本日も名城に負けない凛とした姿で、もちろん笑顔でがんばりましょう~♪♪♪
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